ホーム arrow デルータ
  • English
  • Italian
  • Japanese
Deruta tutto sulla città della maiolica

マジョリカ焼きの町、デルータのすべて

デルータはペルージャから15キロ南に位置し、テヴェレ川渓谷を見晴らす小高い丘の上にあります。旧市街を取り囲む古い石造りの城壁のすぐ外側に最も古い小村があります。旧市街には防衛の役割をしていた3ヶ所の古い城門から入ることができます。城壁の外側から見ると、城門の上に市民の塔とサンフランチェスコ教会の鐘楼(1388年、ゴシックスタイル)がそびえ立っているように見えます。

 

長方形のコンソーリ広場の中央には美しい噴水(1848年建設)があり、続いて市立絵画美術館を保有する市庁舎があります。その絵画美術館には、サンフランチェスコ教会、サンアントニオ教会、サンジャコモ病院に由来する重要な絵画コレクションが保存されています。見どころは、リオーネ・パスコリのコレクションの一部です。さらに、アルンノペルジーノバチッチョ、そしてグイード・レニによる絵画を鑑賞することもできます。奥に進むと、教会に隣接して、1998年に州立陶器博物館となった旧サンフランチェスコ修道院があり、中世から1930年まで年代順に並べられた文化遺産を見ることができます。この順路は形態論・文体論の視点から専門的で重要であり、床張りから儀式用の大皿、脚付きグラス、テーブル装飾、脚付き果物鉢、塩壷、水差し、薬の容器に至るまで、テーマごとに並べられています。デルータのふもとにある旧ティベリーナ通りには、近代的な地域があります。この地域は、マジョリカ焼き工芸を手掛ける数多くの職人の努力により1950年代に飛躍的に発展し、今も尚デルータの工業と密接な関わりをもっています。

 

 


 


デルータの陶器の歴史

デルータの陶芸製品は何世紀にもわたる起源をもっています。これらの芸術に関する歴史資料には、「1290年8月12日」という日付と、現物支給での支払い証明 "unam soumam vasorum"(ラテン語で「たくさんの壷」の意)が記載されています。この時代には、水差し、水盤、鉢、幾何学模様や動物柄のパナーテなどの製品が一般的に使われており、主な色は、銅緑マンガン褐色でした。

 

その後、デルータのマジョリカ焼きは栄華を極め、1500年代には国内外の主要都市に普及しました。ジャコモ・マンチーニ(修道士)やフランチェスコ・ウルビーニに代表される芸術家達が偉大な作品を残しました。儀式用の皿、脚付きグラス、impagliate、貴族の紋章等には、女性像、神話像、戦争・宗教画像が描かれました。装飾は、花柄、動物柄、グロテスク柄、花の渦巻き模様、embricazioni a occhio di penna di pavone、茨の王冠模様、オオカミの歯模様、petal back 等、数多く、様々な独創的なものでした。色調はオレンジ色、ブルー、黄色が豊富に使われています。さらにこれらの作品の最大の美点は、金メッキのすばらしい輝きによる光沢の技術が施されていることです。

 

デルータのサンフランチェスコ教会(1524年設立)、スペッロのサンタ・マリア・マッジョーレ教会、ペルージャのサンピエトロ教会の祭具室の床張りは、デルータのマジョリカ焼きが最高のものであることを証明しています。時を経て、スタイルと装飾がスケッチによる「概要図」、

モレスク様式による葉、花、唐草、鳥、他の動物等の融合である「形式図」に変化していきました。

 

18世紀になって経済危機の時代を迎えましたが、しかしながらこの期間、グレゴリオ・カセッリがデルータに磁器製品の模造をするためのマジョリカ焼の製作所を作りました。

イタリア統一後、アンジェロ・ミケレッティ、アルピノーロ・マンニーニ、デヴィッド・ズィピロヴィチ、ウバルド・グラツィア達の事業の成果で経済はめざましく復興し始めました。デルータのサンブーコ・マリオ陶器(名)の労働人とそのマジョリカ焼製品は、時を経て今日では最高レベルに達した模範的存在となっています。

 

デルータの歴史の要約

デルータの由来はまだ部分的に解明されていません。時を経て町の名前が、ルート ルータ ルプト→ ディレプタ ディルータ というように変化していったことから、町が何回も崩壊したことを示しているようです。この、いちばん最後の「ディルータ」が現在のデルータの起源であるようです。ペルージャの南、トーディの方向には、デルータの強力な砦があり、デルータとペルージャとの古代からのつながりの強さを示しています。保存された旧市街が、頑強な城の形をしていることがその役割の証です。13世紀、デルータは法律を制定し、1465年にはイタリア語の語源となる俗ラテン語で書かれた法律書ができました。1400年代後半、次々と発生した疫病により多くの人民が死んで町が小さくなり、さらに小さな城壁が作られました。サーレ戦争(1540年)で、デルータはペルージャと共にローマ法皇に対して戦争をし、略奪と破壊を被りました。ペルージャの屈服はデルータにも長く平和な時代をもたらしました。まさにこの時代に、芸術的マジョリカ焼きの生産が飛躍的に発展し、時代を経て世界中でデルータの名が知られるようになったのです。




 
< å‰ã¸
Copyright © Ceramiche Sambuco 2003
Ceramiche d'arte Sambuco Mario & C. snc - Via della tecnica, 27 - 06053 Deruta (Pg) Italy
tel. +39 075 9711625 fax +39 075 9711750 - e-mail:sambuco@sambuco.it
P.Iva IT01545900548